【Get lost in mountaineering】山登りで道に迷う

■山登りで道に迷う;

赤岳‐八ヶ岳

趣味のひとつに山登りがある。これは山登りにまつわる10数年前の話である。本格的に初めて挑戦した山は長野県八ヶ岳の天狗岳だった。前日に軽井沢で1Rのゴルフをやり、終了後、稲子湯に1泊して翌日の早朝6時から登り始めた。メンバーは男2人、女2人の計4人。リーダーの男は長野県出身で、若い頃から同県の山々を制覇してきた強者だった。学生時代は10年間ずっと運動部に属し、それなりに体力的には恵まれていた方であるが、社会人になってからはこれと言った特技はなかったから、この時分はごく平均的な体力であったろう。東天狗岳で昼食を食らい、下山は中山峠から黒百合ヒュッテを経て唐沢鉱泉まで、ここでさらに1泊して翌朝東京へ戻るスケジュールを組んだ。あっさりとした初登山ではあったが、それでも学んだことはいくつもある。山の空気や景色が筆舌に尽くしがたいことは言わずもがなであるが、まず、早朝の第一歩がだるいこと。次に、登りは気合いで何とかなるが、体力を使い果たした下りは思いのほか足が動かないこと。特に前日のゴルフで疲れを残した僕には大変なハンデとなった。体験者であればわかる光景だが、中山峠から天狗の頂上までは相応に勾配がきつく、それなりに慎重に歩くので登りも下りもさほど問題はない。一方、黒百合峠から唐沢鉱泉までは、だらだらとした下りの登山道が続く。所要時間は2時間もあれば余裕である(と当時は思った)が、何と僕の足は鉛のように重たく、スッテンコロリンが20回以上も続き、結局鉱泉へ到着したのは夕日も落ちた17時ちょっと前だった。10月初旬の八ヶ岳山道は16時を過ぎれば相当暗くなり歩行ライトが必要になる。途中からリーダーが焦り始め、先遣して鉱泉の場所を確かめに行ったくらい、今から思えばかなり無謀であった。《山では15時、遅くとも16時までには目的地に到着する》。これ鉄則。暗がりの中、這う這うの体で唐沢鉱泉に辿り着いた一行は、一風呂浴びて、談笑しながらわりと豪華な夕食を取って寝た。

扨て、本題はここから。(ここまで長くてご免なさい)

翌早朝4時半に目が覚めた。前日に疲れ果てた僕の体はたった一晩ですっかりと回復し、モーニングコーヒーを飲んでいたら、ふと、雲海が見たくなった。皆はまだ寝ている。僕は、再度コンディションを確かめながら「行ける!行きたい!!」衝動に駆られ、6時前からまた登り出した。初心者1人で入山口から枯れ尾の峰をめざす。道しるべを頼りに樹林体を抜けるとなるほど30分かそこらで到着した。ここからの展望は、南アルプスや中央アルプスがよく見える。山脈もさることながら最も絶景だったのは当地と山脈間に広がる雲海だ。興奮も冷めやらぬ内に下山し始めた僕は、な・なんと10分も経たずに道に迷ってしまった。感覚的に言えば、登りは枯れ尾の峰までやや左回りだったから、下りは右回りを意識して歩いていたが、どこかの分岐点で誤ってまっすぐに下ったようだった。焦り、動揺、不安、何とも言えない初めての感覚。今思えば、最初に「いやな予感」がした際に引き戻せば良かったのであろう。が、経験もなければ勘も働かず、ついつい思うがままに右を意識しながらもひたすら真っ直ぐに降りて行った。頼みの綱は、まだ朝が早かったことと電池切れ一歩手前の携帯電話。雑木林の道なき道をひたすら下り、相当時間が経った頃に右側に流れる沢に通ずるかすかな道筋を見つけ、ホッとしながらも恐る恐る下って行った。ようやく一筋の車道を見た時は、安堵と共に一粒の涙が出た。携帯電話で事情を話し、ここまで車で迎えに来てもらい、鉱泉へ戻ったのが9時半、何と2時間以上も山中を彷徨っていたことになる。晴天の朝だったから良かったが、これが夜半の暗がりであったならば、きっと命の問題に繋がっていたことであろう。10月の夜は冷える。体に異常はなかったが、心は折れた。

◆教訓;

1)感覚だけでものごとを進めない

2)迷ったら原点に帰る

3)経験値を積む

4)行き(攻め)はよいよい、帰り(守り)は怖い

5)人に迷惑を掛けない

*ビジネスにも十分通用する貴重な出来事であった。(以降、このような軽率な体験はない)

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