【Reiwa ‐Next Japanese Era-】- 令和 -


太宰府天満宮 御神牛
◇于時 初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
◇初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の 香(かう)を薫(かをら)す
◇時は初春の佳き月で、空気は清々しく澄みわたり、風はやわらかくそよいで、梅は鏡の前に装うように白く咲き、蘭は身に帯びた香りのように薫っている (一部Wiki引用)
平成三十一(2019)年四月一日、午前十一時四十一分に、菅内閣官房長
官より、来る五月一日から改まる新元号の発表がありました。“大化”から起
算して248番目の元号となるそうです。いよいよ、平成の終りも近づき一抹
の淋しさを覚えますが、同時に、新時代に向けてワクワク感がより一層実感を
帯びてきました。“令和”の出典は、日本国書である万葉集“梅花の歌 三十二首
并序(序文)”との説明がありましたので少し調べてみました。
万葉集は、日本最古の和歌集である。その中で、この梅花の歌は、天平二(730)年
正月十三日、大宰師(大宰府の長官)である大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅に
集まって梅の花を愛でる宴が開かれ、その時に官人であり筑紫歌壇の歌人でもある
山上憶良(やまのうへのおくら)が詠んだものではないかとの説があるようです。
「ん!?」太宰府・・・か。どうりで題材が梅のわけです。太宰府天満宮と言えば、
学問の神様菅原道真公が詠んだ「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて
春を忘るな」で伝承された飛梅とともに、全国的にも有名なまさに梅薫おる土地柄なので
す。もっとも道真公は平安時代の人物なので、万葉集が編纂された奈良時代から
はすでに100年以上も経っています。実に万葉集とは、そのくらい古典的な和歌集なのです。
天満宮内の梅の木はその数6,000本とも言われており、毎年2月になれば見事一斉に咲き
誇ります。また、太宰府市の市花にも指定されています。
発表直後には話題にもなっていませんでしたが、この梅花の歌が太宰府の地
で詠まれたことを知り早晩騒がれ出すだろうと思っていた矢先、案の定
翌二日の今SNSにはチラホラと記事が出始めました。今後、さらに話題が沸騰
することが予想されます。風情を体感するために、皆さんもたまにはこの地を
訪れてみてはいかがでしょうか。
また、メディアを通じて、「爾来漢籍から切り出してきた元号だが、今般初め
て国書から選定された」ことについての伝聞説明がありました。このことについて
今さまざまなコメンテイターが持論を展開していますが、「国書とは言うが、
母体は漢字であるから、所詮原版は中華である」とか「梅の起源は中国であ
る」とか「元号制度自体は中国に由来する」にはいささか閉口します。そもそも
中国は、残念なことに元号を100年以上前に廃止(1911年辛亥革命による)
し自国の歴史を遮断しましたし、万葉集母体が漢字だと言うのであれば、
古代中華四大発明以降に発展し、現代に脈打つ大王製紙社のエリエール(紙)や
レミントン・アームズ社の銃(火薬)もチャイナ・オリジンの摸倣ということに
なり兼ねません。
一見まともそうなロジックに聞こえますが、何かピンと来ないですね。すでに
オリジナルとは懸け離れたところで凛として存在しているからでしょう。
また、先ほども書きましたように、梅は中国だと宣う御仁には、一度太宰府天満宮に
咲く梅の環をご覧になって欲しいですね。起源云々など些末な話はどうでも良いほどに
必ずや歴史の荘厳さを感ずることが出来ます。古来より永きにわたり承継され、今なお
厳然としてそこにあることが、ことさら重要なのではないかと思います。
さらに、一部の天皇制を肯定できない政党からは「もともと元号は君主による
国民支配から生じたものであり、日本国憲法の国民主権の原則になじまない。」
などとの奇妙で滑稽な解釈なども噴出しているようですが、はたして元号制定の
制度そのものに反対であるか否かを、直接日本国民に問いただしてみれば分かる
と思います。元号にアレルギーを感ずる国民は、集めても精々数千人か数万人の範囲
でしょう。ニュースを通じた昨日の光景を見ても、明らかに圧倒的大多数の国民が支持
していることがわかります。使用が嫌ならば自身が使わなければ良いだけの話であり、
国民(彼らにとっては市民でしょうか)を盾に一方的な政治思想の押し売りははた迷惑
ですから、勘弁して欲しいですね。
もっともビジネス社会においては、こと今日のようにグローバル化が進んだ社会
では日本固有の元号はむしろ邪魔臭く感じることが多々あります。分野によっては
西暦で統一した方が効率的であるとも言えます。そもそも元号で語っては、外人には
さっぱり通じないでしょう。しかしながら、国内において狭義に同胞と語らうような場合
は、むしろ元号で互いの間をはかる方がはるかに理解が早くなることがあります。
私は昭和生まれなので、話題が明治や大正時代であれば、西暦を確認すること
なく自分より前の出来事であることがすぐに理解できますし、平成生れの人と
話をするような場面では、容易に相手が自分より相当年少であることもわかります。
数字(西暦)が表音文字であるのに対して、漢字(元号)は表意文字であるから、
あらかじめ元号の型(響き)が脳裏に焼き付いているのだと思っています。
菅官房長官に引き続き、安倍総理より談話も発表されましたので、以下、令和
にまつわる骨子部分を一部抜粋して切り出しておきます。
令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込め
られている。
悠久の歴史とかおり高き文化、四季折々の美しい自然、日本の国柄をしっかり
と次へ引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る
梅の花のように一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大
きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込めた。文化
を育み、自然の美しさを愛でることができる、平和な日々に心からの感謝の念
を抱きながら、希望に満ちた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。
元号は皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸への深い願いとともに
1400年近くにわたる我が国の歴史を紡いできた。日本人の心情に溶け込み、
日本国民の精神的な一体感を支えるものである。
造語であるとは言え、ひとつひとつの意味や配列、カチッとした響きは一本筋が通って
よいと感じます。発表後に「命令の令」や「律令の令」の用法から、使役や強制を連想
させるとへそ曲がり的な言いがかりをつける者もいたようですが、第一級の専門家や
有識者に対し無礼にも程がありますね。私が「カチッと」と感じた理由は、“令”を他者
からの強要ではなく、自ら率先して凛と正すという意味で捉えたものです。右も左も誰
もが皆、もっと素直な心でそのように感じ取って欲しいものです。
振り返れば、平成の世はバブルに始まり、中東湾岸戦争を機にみごとに泡は弾けて、
経済は昭和の時代から反転長期のドロ沼にはまりました。また、阪神・淡路や東日本
に代表される大震災や、さらにはオウム真理教事件のような頓珍漢な宗教犯罪にも
見舞われ、日本は一億総混迷の感がありました。「元号が変わったくらいで何が変わ
るか」ではありましょうが、それでも私は今から始まる令和に希望を見出したいと思って
います。“令和”。平成よりは、むしろ馴染みやすいのではないでしょうか。平成を初めて
聞いた瞬間は、何かスルッと通り抜けたような感じがしました。平成の言葉にも色々な
意味や想いが込められていたのでしょうが、やや軽い感じを覚えたことを記憶していま
す。きっと、激動の昭和の影の部分のみが、反動として表現されたのでしょうね。
私みたいな昭和生まれの人間にとっては、元号の半分“和”だけでもまた戻ってくれたとの
多少ほっとした安堵感があります。
【補筆】
冒頭、梅花の歌 三十二首并序 には続きがありあります。
◇詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし
◇中国にも多くの落梅の詩がある。いにしえと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささかの短詠を作ろうではないか
たとえ出典は中華であったとしても、当時の大和民族としての気概がそこはかとなく感じられるのではないでしょうか。