【Media power and his pride】メディアの権力と矜持

高尾山から首都圏を望む

 

権力と矜持

最近のメディアを見ていると、イヤな思いに駆られることが多い。あまりにも『歪(いびつ)』に感ずることが多いため、敢えて自身の意見を記してみたいと思う。一国民としての独断と偏見を交えて。                                                 「いやな思い」に陥る根源の筆頭格は、何と言ってもテレビ。ラジオと違って映像が残るし、(執筆者の)筆記が残る新聞・雑誌と違って情報の無責任な垂れ流しが可能であるからである。それら内容には、作り手側の『権力』を象徴する傲慢さや呆れ果てるほどの心象操作、取材人の安易かつ稚拙さ、『売らんが為』商業至上主義等の露骨な発想が丸見えであり、この頃僕は、怒りを超えてもの悲しくなる。『国民は馬鹿が宜しい』を前提とする政治を批判するメディアこそがまさに馬鹿なのであり、また、馬鹿な国民を誘導すればするほどメディアの棲み心地は良くなる。『権力を監視するのが我々だ』と謳いながら、自分そのものが権力であることをはき違えているように思える。作り手側の心証操作が丸見えの記事・報道がやたらと多いのがその理由であるが、自分たちが国民の代表であり、自分たちが日本を変えられる唯一の機関であるとでも思っているのであろうか。猛省を求めると同時に、権力者としての矜持を再確認して貰いたい。権力を持つ者は周りに対し謙虚であらねばならない。政治の質が年々劣化し続けていることが、これらメディアを増長させる要因となっていることも気にはなるのであるが。
一口にメディアと言っても、皆が同じ立場・論調ではないことは理解している。また、同一メディア内にも異なる思想の人物がいることは想像できる。また、株式会社組織であるから、利潤追求が第一との経済論理も理解する。それらの事実は実在することを理解した上で、最近(と言っても数十年続くものもあるだろうが)の事例をもって疑問点を順位不同に挙げる。すべてが「もう、いい加減に変えたら!」との思いを込めて(*例示は2018年6月末現在までの報道内容に基づく);

  1. なぜ、答えるはずもないインタビュイーに、「すみません、何か一言お願いします」と言い放ち、返事がないとわかっていながらCMに移るのか?                   ■視聴者に対し『悪いやつ』との心象を触媒させるのではなく、事前に一言の言質を取っておけば良いだけのことである。それが本来の『取材力』ではないか。これが欠如するこのお決まりのビジュアルは、いつもメディア奢りの象徴だと感ずる。少々下品な表現ではあるが、「おまえら何様だ!」である。
  2. なぜ、権力の監視役を標榜しながら、権力に擦り寄るのか?
    ■某TV局に端を発する財務省のセクハラ問題は、実は、同社(業界?)のパワハラ問題であり、万一これが業界内で常態化しているのであれば、これこそが真相解明が必要な事案である。視聴者は当にこの真相が知りたいのだ。而して、この手の問題は、該TV局は言わずもがな系列メディアが実態解明に動くこともなく、姑息にも闇に葬られ、まさに国民の『知る権利』は剥奪される。国民の真なる興味は、今日なぜ、このように奇妙なぶら下がり取材が横行するのかとの『闇』、すなはち、業界で言うところの『必要悪』の部分であろう。
  3. なぜ、メディアの思想に都合の良い人物の発言のみを大きく採り上げ、本質論を報道しないのか? 空気の本質を読まずに、架空の空気作りに邁進するのか?
    ■代表事例は言い尽くされたモリ・カケ問題。これの一体何が問題なのか本質論がズレにズレまくって、結局、枝葉末節で騒いでいるだけ。犯罪性が疑われるのであれば司直に委ねれば良いのにと思う。「疑惑はさらに深まった」「証人喚問が必要」との全くもって無責任な野党発言に迎合するのではなく、耳の穴かっぽじって、前愛媛県知事の主張を聞いたらと何度思ったことか。まさに、尻切れトンボのマッチポンプである。
  4. そもそも、なぜ、モリ・カケ報道がこうもまた続くのか?
    ■モリカケ批判は先鞭はそもそもメディアに端を発し野党内に火が着いた。権力ウォッチャーを標榜する立場から、メディアが野党支援に回るのは大いに結構。しかしながら、共闘して現政権に揺さぶりをかけても、結局、『泰山雷同して鼠一匹』である。理由は簡単、記述のとおり本質がズレているからだ。
  5. なぜ、憲法改正について、偏重報道を流し続けるのか?
    ■私は、憲法改正議論に関して、「改正の必要があれば、また、その時期が熟せば改正すれば宜しい」との立場を取る。極めてニュートラルだと思っている。一方で、改憲は改悪だの平和憲法を守れだのを声高に主張する奇妙な人物・組織・団体があり、これを盲目的に肯定(に聞こえる)報道するメディアがやたら目立つ。また、自衛隊は違憲であるとの憲法学者の主張を、ことさら正論の如く報道する姿勢も鼻につく。違憲論を密かにほくそ笑む余裕があるのであれば、なぜ、「改憲を前提とした議論形成を」との水先案内人的な提案を率先してできないのであろうか。
  6. なぜ、スクープに拘るのか?スクープってそもそも国民に資するものなのか?
    ■特ダネ!? 他報道機関を出し抜いて、世間が注目するニュースを報じること。メディア村社会だけに通じる自慰行為。これが国民にとってどんな幸福をもたらすの?くだらないなぁ。
  7. なぜ、新聞各社は消費税増税に賛成(もしくは明確な立場を示さない)でありながら、購読料に対し減税措置を希求するのか?
    ■クオリティペーパーを自賛するのであれば、新聞に対する消費税(*全世界では一般的に付・加・価・値・税と理解される)は20%でも構わないと思っている。内容に価値があれば、国民は高くとも買うものだ。しかしながら、新聞(自社製品)だけは軽減税率適用してくれだと。まともな国民は、こういう姿勢をダブルスタンダードと理解する。
  8. なぜ、現政府野党のお先棒報道を行うのか? なぜ、与党総裁だけを狙い撃ち的に攻撃するのか?
    ■メディアが権力ウォッチャーを標榜するのはある意味正しい。権力はやがては腐敗するから、その腐敗の課程をつぶさに観察し報道することは重要であるからである。従って、与党自民・公明党を批判することは構わない。しかしながら、現野党のすべてが正しく、与党はすべてが『悪』であるとの(少なくとも私にはそう聞こえる)偏重報道はまったく戴けない。何をか今更ではあるが、現野党がいかに体たらくであるかを公平に伝えることはリベラル報道の基本であるし、与党の功績があればそれはそれでしっかりと伝えて貰いたい(*環太平洋連携協定[TPP]に関する日本国政府のリード的な活動などはその最たるものであると考える)。視聴率云々を斟酌する以前に、公正・公平は基本中の基本でしょうが。
  9. なぜ、他国の立場を優先する報道を率先して行うのか?
    ■一部のメディアは、今日に至っても依然、〇〇国ではこう言っている、△△国ではこのような主張が大半である、等の日本国を貶める報道姿勢を貫いている(ように感ずる記事が多い)。二昔前の優等生かつ級長的な発想・表現である。しかしながら、このようなメディアほど自浄能力が欠けていると感ずるのは、私だけであろうか?私の思う自浄能力とは、まず「であるならば、我々(メディア)は、自国民、同業他社、あるいは他国の世論や主張、意見に対して公明・公正に対処しているだろうか」と言うことを真摯に受け止めることにある。上っ面だけのよい子ちゃん的態度は、やがては馬脚をあらわすことになりはしないだろうか?腹は据わっているのかい?

メディアは、明らかに、特権という権力を保持している。しかしながら、そのことに対する自覚が足りていない。ひとたび経済界で問題が発生すれば、鬼の首を取ったような(パワハラめいた)報道を繰り返し行うにも拘わらず、いざ、自身の問題となると知らぬ顔の半兵衛を決め込む。権力には、謙虚に身を正す『矜持』が必要である。今日、自覚のない権力は、やがては衰退する。国民は馬鹿ではない。国民の代弁者を標榜するのは自由であるが、国民を侮って貰いたくはない。最近、痛切に感ずる所以である。

 

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