【Three Respecter of life 】三人の師匠


朝焼けの槍ヶ岳 長野県
三人の師匠 - Three Respecter of life -
人の一生には、記憶に残るほど強い影響を受けた師匠が複数いると思う。師匠。学問または武術・芸術の師、先生である。この稽古事の場はもちろんのことさまざまな分野においても幅広く使われている。この世に生を受け、幼少期までの師匠役はもちろん親兄弟であろう。思春期の師匠は学校の先生であったり、先輩・友達であったり、クラブの監督や顧問であったりする。この章で僕が語る師匠は幼少期でも思春期でもなく、学業を終え社会へ旅立った以降のビジネス社会で出会った師匠のことである。
特に印象に残る師匠は三人いた。直接学んだ期間は二人が各々3年、一人が10年である。学ぶ弟子側の感性にもよるのだろうが、師匠と呼ばれる人物の多くは得てして口は旨くないのではなかろうか。僕の師匠の場合、かなり共通項があるので思い出しながら羅列して見ることにする。(順位不同)
◇叩き上げ
◇学歴・偏差値は高くない(高卒、または地方の国公立大卒)
◇地頭が良い
◇自身に厳しく、自己は売らない
◇寡黙(ただし、聞けば応える)
◇頑固(ただし、融通が利かないとは異なる)
◇大局観があり、常に事象を俯瞰的に見ている
◇先読みに関して嗅覚が鋭い
◇数字に強い 数字の捉えが的確である
◇記憶力が良い
◇実務遂行(処理)能力が高い
◇責任感(胆力)が強い
◇有事に強い(有事に際して特に存在感を発揮する)
◇経験が豊か
◇安心(安定)感がある
◇お茶目
学歴と言えば、今は各社企業内でどのような扱いになっているのかはわからない。一部の特殊な大企業や公務員を除けば、大した問題ではないのかもしれない。ただし、僕が社会人となった昭和末期はまだこの大卒と高卒の壁が高く、出世という切り口から言えば高卒はどこかで限界があった時代である。僕の師匠の内、たまたまではあるが、二人は高卒であり企業人としての出世街道からは外れていたし本人もその事実を客観的に自覚していた。ただしいずれも良い意味で人生を達観したいわゆる人格者達であった。もともと現場からスタートしているので上記に掲げた実務遂行能力が極端に高い。また、若い頃から遂行業務の場数を踏んできているため、熟せる業務領域が人より格段に広い。しかも、ここからは僕の推測も含まれるのだが、年齢を重ねるどこかで経営の達人(もしくは中枢)に仕えて揉まれた時期を過ごしているため、ものの見方が理路整然大局的である。しかも数字に強い。人はいかに能力があってもそれを活かして見せ、評価を受ける場がなければ救われない。この点では何らかの見せる技術は必要であろう。ただし、上役から見ればそれが単なるパフォーマンスなのか否かはすぐに判るし、判った上すなはち社内テストに合格した上で登用されてきたわけだから、偽物でないことは間違いない。わかりやすく例えれば、東京大学を出た者は元から社内の身体検査がないか、またはそれが不要な立場や機会で登用されるから、この部分の苦労はあってないに等しい。ところが、それ以外の者はある程度の立ち位置までは自力で這い上がるしかない。ましてや高卒ともなれば、この階段の絶対数とある程度まで達成する期間が相当多いし、長い。
とにかく実務を積み、どの時期かに頭角を現し、そして経営に見い出されて補佐し、やがては全体を見渡す立場に立った。断っておくが、この際人物の社会的地位はあまり関係ない。師匠は社長であったり役員であったり管理職(課長)であったりしたが、これらポストは実力だけではなくその後の運も関係するから、ここでは題材とはしないことにする。一つだけ言っておくと、僕の師匠三人は共にどの時期どの時点かで出世レースを諦めた節があり、皆、地位には淡々としていた。半面、仕事を完遂するためには、ある程度の地位が必要であることもわきまえてはいた。力説しておきたい共通項は、まず何時でもフェアである。物事に対しても人に対しても、まず、入り口の段階でフラットに眺めて判断するから変な偏りがない。現状の数字を的確に捉えてありたい場所へ運ぶ。そして出口の可能性を導き出す。言葉はなくとも「最後は俺が責任取るよ」とのオーラが滲み出るから、周りは緊張しながらも安心して業務に取り組むことが出来る。そして、完成した作品(手柄)は決して横取りしない。報告を聞いて単に頷くだけで、結果はすべて現場へ落とす。「よくやった」とも言わない。過度にはしゃがず慌てず、いつも端としていた。『当たり前のことを当たり前に行う』。このことがいつも徹底されていた。
こんなタイプってひとつの組織に何人いただろうと思い返してみた。30人にひとり、いや100人にひとりくらいか。一部のエリート集団ならいざ知らずとにかくなかなか出会うことが出来ないのは確かである。一見普通に見えるからどこにでも居そうな感じがするのであるが、いざ接してみると内面に秘めた覚悟がひしと伝わる者はなかなか居ない。年齢が離れているため、この師匠達が若かりし頃果たしてどのようなフレッシュマン時代を送っていたのかは直にはわからない。従って、もし同年代で生きたならばその時の自分にどう映ったか、これも比較のしようがない。ただ確かに言えることはある。彼らは皆若かりし頃に、人以上に一心不乱に働き、より多くのことを考え、悩み、遣り抜いてきたはずだ。また、色んな先人に付いて、取捨選択を繰り返しながらその英知に学び、そして盗んでいった。
一体自分はここまで何を学んできたか悔いること頻りであるが、この先さらに何かを体得できる機会はあるのだろうか、甚だ心許ない。また、自分自身のことを棚に上げて敢えて言わせてもらうが、昨今の日本人には僕の師匠のようなタイプは年々減ってきているのではないだろうか。残念ながら現在の僕の周辺では皆無に等しい。時代の変化とともに、日本人としての心の余裕が徐々にすさんで来てはいないかと危惧している。