【Past, present and future】 過去・現在・未来

哈爾濱 松花江

■過去・現在・未来 -Past, present and future-

18世紀ドイツの詩人・劇作家であるゲーテの格言と反省には、『人間は、現在がすこぶる価値のあることを知らない。ただ、なんとなく未来のより良い日を願望し、いたずらに過去と連れ立って嬌態を演じている。』という名言があります。この意味は、過去にしがみつかず、未来に依存せず、現在を大切に生きよ、と言うことでありましょう。いつの時代にも、どの国家や地域にも、また何人においても過去・現在・未来が存在します。これら三つの厳格な定義は、時間がつねに流れている以上困難を極みますが、一般論として人が現在を認識した瞬間にそれ以前が過去で以後が未来となりましょう。これらを前提に、我々日本史上の近現代に焦点を当てた場合、1945年8月15日までを過去、以降同16日から今日までの70余年を現在、明日からを未来と言い変えることも可能でしょう。

さて、ここからが本題ですが、わが日本国の周辺には、この過去・現在・未来軸を奇妙に捻じ曲げて(僕にはそう見えます)語る民族がやけに目立ちます。広大な国土を有する彼の国は、過去を素知らぬ顔で加飾し現在から未来を過大に自画自賛することを得意としていますし、また、別の半島国家では、過去を加飾するどころか原型を留めないほどに変飾し、かつ未来~と声大に宣いながら暗黒の過去ばかりに拘泥し続けます。これらの国家に共通する事項は、『過去』を誤魔化し前述しました『現在』を客観的と言いましょうか公平に直視することもなく、自身にとって都合の悪いことは隠蔽もしくは忘却または無視していることです。現在を無かったことにしたいから殊更過去をほじくり返し続けるしか術がないように見受けます。

つまり、冒頭ゲーテの主旨『現在を大切に生きよ』からすれば、今を何と軽々(小賢)しく生きているなぁ、生きられるもんだなぁと妙に感心するところであります。

一方、日本はどうかと言いますと、古代はもとより中世・近代と何ら着色する必要のない世間に恥じない過去を有し、したがって等身大の過去をそのまま思い語れば現在に繋がり、今をベースとして素直に未来を創造すればよいのです。現在において過去を無理に捻じ曲げて誤魔化す必要もなければ、他国からの言われなき誹謗中傷に対しても成すがまま卑屈になる必要などないのです。そして単に、不動の現在を粛々と未来へ繋げて行くだけなのです。ニュートンのゆりかご(カチカチ玉)の如く端の金属球(過去)を引っ張って離すと中間の球(現在)に衝突し、逆側の金属球(未来)が等速で弧を描く、力学的エネルギー保存の法則を思い浮かべてみました。中間球(現在)は、常に不動でありながらも過去のエネルギーを正しく未来へ繋ぐ重要な位置を占めているのです。

しかしながら嘆かわしいことに、足元の日本国内に過去の一時期のみを斜に捉えて現在を常に否定的に語るいわゆる一瞥優等生日本人が少なからずいます。元来これが一番厄介かも知れません。

 

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