【Like or not? ‐ Criteria for Appointment ‐ 】好き、それとも嫌い? ‐選択の基準‐


阿蘇山 火口 熊本県
好き、それとも嫌い? ‐選択の基準‐ Like or not? ‐Criteria for Appointment‐
昔、社長と同僚と3人で昼食を取りながら、談笑していた時の話である。話題は、会社の組織論についてだった。流れで、部下はどのような基準で登用するかと言う方法論の話になり、僕は、「究極を言えば、所詮、好きか嫌いかが判断基準になるでしょう」とあっさりと答えた。僕の淡々とした答えに同僚も少し驚いたような表情をしていたが、はたして一時した後で、その社長からメールが飛んできた。「俺はお前の発言に少々失望した。人よりも多少、《私 心》が少ないと思って登用したのに」と。
以下、その時の僕の釈明(真意)を記してみる。但し、当時のメール内容そのままではなく、その骨子についてである。(メール文章はもっと短文であった)
およそ企業の従業員には、いろんなタイプがある。地頭が良くて、気が利いて、チャレンジ精神が旺盛で行動力があり、仕事に対する当事者意識や目的意識が高く、また、リーダーシップが豊かで、すべての他人に対し思いやりがある。こんなにスーパーな社員がいれば、その会社は万々歳であり、僕も皆も大好きであろう。社内のどの部署からも引く手数多になることは間違いない。しかし、問題は、《こんな奴は、まずはどこをどう探したっていない》からスタートする。 では、おおむねどのようなタイプに大別することができるであろうか。
■仕事に取り組む姿勢から、こんな分類が考えられる。
1. 自分が主体となって仕事に対し果敢にチャレンジし、目的を達成する(24時間戦うリゲイン…、ちょっと古いか?)タイプ
2. 自分が主体となって仕事に対し果敢にチャレンジするが、うまく結果を出せない(要領を得ない)タイプ (*チャレンジ意欲の度数によって、さらに分類できる)
3. 理論的に仕事(目的)を理解するが、チャレンジ精神に乏しい(評論家)タイプ
4. チャレンジ精神に乏しく、かつ、結果もうまく出せない(指示待ち)タイプ
■また、リーダーとしての器量から、以下の類別も重要であろう。
5. チャレンジ精神旺盛で業務遂行(業績)能力も高いが、組織の統率力はやや乏しくリーダーシップに欠けるタイプ
6. 業務遂行能力はさておき、組織統率力が旺盛で人望の厚いタイプ (*業務遂行能力の度数によって、さらに分類できる)
その他の判断基準としては、地位による要件も含めると、意思決定力、指導力、調整力、意思伝達力(説明責任)、責任感、モチベーションの高さ、コミュニケーション力、協調性、など、色々な角度からの比較検討が可能ではあるが、これ以上の細分化は、ここでは割愛する。なお、沈思黙考の寡黙型社員であるとか、過度のパフォーマンス志向癖があるとか、自己に優しく他人に厳しいとか、はたまた上司に媚びへつらい部下を見下すなどの特性を見抜いた上での判断が、重要であることは言うまでもない。
扨て、1.~4.に於いて、1.タイプの部下を味方につければ、業務がうまく運ぶことは自明であろう。注意を要する点は、1人が突出している場合には、他のチームメンバーへのマッサージも、時には必要である。決して単純比較してはならない。2.は、業務プロセスを定点毎にチェックしてやる必要があり、4.は『そもそも仕事とは何ぞや』との基本から指導する必要がある。3.は最も厄介だ。部下を持たない若手であれば、企業活動の根本(先知後行または知行合一)を諭すが、これが中間管理職ともなれば、部下の鬱積が爆発する前に態度を改めさせるとか、さもなければ適材適所への配置転換が必要な場面もある。放って置くと、組織(チーム)が崩れる可能性があるから。
5.と6.については、中国の経典《書経 仲虺之誥 德に懋めるは官に懋めしめ、功に懋めるは賞に懋めしむ》から援用され、西郷南洲翁やジャック・ウェルチも好んで使った所謂『功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ』に準えて比較されることが多い。もちろん5.が『禄』であり、6.が『地位』と言うことになる。この5.と6.とを混同するケースは僕の経験上でも相当あり、ここを一旦間違うと、その対象が経営層または限りなくそこに近しい人物であった場合には、企業は迷路に嵌まりダッチロールを繰り返す可能性が大となる。
これら1.~6.の比較は、一様とはならないケースがむしろ多い。評価者が3人いれば、三様もあり得る。ましてや、定量的に見積もることが可能な『業績の対比』であれば比較的容易であろうが(それでも難易度なんかを加味すれば、より複雑になる)、たとえば、定性的な『チャレンジ精神と協調性との比較』などしようものなら、どちらが上位かなどの判断は議論百出となり、最後はかなり主観に頼らざるを得なくなる。勿論、厳正に吟味はするが、究極的には…、『好きか嫌いか(もしくはどちらが好きか)』の直観に為らざるを得ない。さりとて、評価者(いわゆる『人』)が比較するのではなく、会社(いわゆる『天』)が最終判断するとの視点に立てば、天が『好む』適材適所を慮って差配するのが至極妥当であろう。そこに我慾が介在するなどもっての外である。
わかっていただけたかな? 僕が言いたかったのは、最終のワンフレーズであったのだが、果たして、その後、この社長からあまり重宝されなかったところを見ると、この時に愛想を尽かされたのかもしれない。但し、その後の企業活動に於いても、この《私心(わたくしごころ)が少ない》は、ひとつの開眼したバロメーターとなっており、あれから今日まで自身にも課してきたし、僕が他人を判断する一つの基準でもある。