【Japanese chess and a gentle breeze from Matsudo 】詰将棋と松戸のそよ風


上高地 梓川支流
■詰将棋と松戸のそよ風 - Japanese chess and a gentle breeze from Matsudo -
この章では、詰将棋について書いてみたいと思う。但し、羽生竜王や藤井七段に代表される将棋戦自体のことではなく、人生、いや、ビジネス界における詰将棋についてである。
僕は随分若かりし頃、20歳近くも年上の一風変わった男に就いた時期がある。通称、《松戸のおやじ》、千葉県松戸市に住んでいた。得意技は金融、仕事に対する姿勢は唯々寡黙、深沈厚重 笑比河清の不思議なおやじだった。驚いたり慌てたりする姿を見たことがない。直前の会社で経済事件に巻き込まれ、時の部長として悪戯にメディアに追い回され、結局はその会社はぶっ飛んで、縁あってここ兜町に来たらしい。第一印象は…、ない。ただ周囲の諸説によれば、「結構、面白い」とは言われていた。入社(転職)当時、仕事を教わった記憶はない。いつも静かに電話を掛けながら、黙々と仕事を重ねていた。
こんなおやじと職場を同じくしながら、会話のない日常を過ごしていたが、ある日突然終業後に誘われて、一緒に飲んだ。「豪快」、「痛快」、「愉快」。イメージは一転と言うよりも鮮明化した。まず、酒豪いわゆるザルってやつだった。饒舌ではないが、話の中身が面白い。経験談はあるが、今日の仕事は話題にならない。自慢話がまったくない。かと言って、洒落っ気のある結構お茶目なおやじだった。これ以降も引き続き、日中は仕事上の会話はほとんどなく、夜な夜な飲み歩く日々を重ねていくうちに、いよいよ金融・証券バブルが弾けた。会社は拡大・成長路線から防戦一方の受け身体制に様変わり、僕もそんな組織に組み込まれた。ここからはっきりとおやじの直下に就いた。禅問答然とした言葉の詰将棋が始まった。
結論から言えば、おやじはいつも少なくとも五手先までは明快に読んでいた。すなはち、相手(1人の時もあれば、グループだったり、時には大衆だったり事象だったりした)にまず、初動の一手をぶつける。向こうはその一手に反応し二手目を打って来る。すぐさまそれに三手で反応し、さらに四手目を返して来たら、結論含みの五手で落とす。大体いつもこんな感じであった。世相が好景気のままなんなく続いていたら、こんな思考に触れることなく過ごしたろう。ただ、時は空前のバブル崩壊、皆がその後の企業人生を賭けての生存権に係る時代であった。稀に一手先しか読め(ま)ない目出度い奴は居るが、これは論外だ。凡人であっても普通に二手三手先までは読む。相手が気心の知れた奴や比較的簡潔な事案、もしくは互いがwin winの商談であれば、大方はここで終了する。その後は実務ベースでゆっくり積み上げて行けばよい。問題は相互の利害が衝突する場合である。前述90~91年金融・証券に端を発するバブル経済の崩壊は、いたるところでこの『利害』の衝突が生じていた。経済全体が右肩上がりの状態であれば、これら他力を使って相互の利益が確保される。しかしながら、一旦この経済・利得構造が崩れた場合は、その崩壊過程の中で熾烈な分捕り合戦が始まるのである。(金)貸し側と借り側の胸の内や、(株)売り側と買い側の思惑が飛び交う中で、如何に次の一手を先読みし相手の納得を導き出せるか、ここまでに導き出せなかった場合の次なる七手をどう打つか、おやじは常に瞑目していた。相手の六手が戦術論である場合はまだいい。ところが、こちらの致命傷につながるケースが想定される場合、その判断には大いなる困難を伴う。僕はおやじと同じ屋根の下企業で約11年間仕え、その中でこの詰将棋に似た交渉場面に5年ほどは同席したろう。特に最後の3年ほどは、僕へもこちら側の一手策や想定される相手の二手・四手攻を尋ねる(と言うよりも実際は自問に近かったが)ことがままあり、これら呼吸の取り方は、その後の僕の社会人生に多大な影響を与えている。交渉の極意は、決して饒舌であることや愛想がいいことではない。冒頭でも書いたが、おやじはむしろ寡黙かつ素朴(素っ気ない)であった。人として本当に重要なことは、頭脳明晰であることは言うまでもないが、大局的であったり、誠実(嘘がない)であったり、私心がないであったりする。また、最終的には『肝っ玉』の話であり、決して口先だけのお為ごかしであってはならない。再言するが、僕は、この時期こんなおやじと間近に接しながら、沈みゆく小船の中から出口の見えない敗戦処理作業を延々と続けた。
それからおやじは10年生きなかった。色んな病気を併発し、最後は癌で命を引き取った。享年64歳。その時は互いがもう別々の人生を歩んでおり、僕は次なる人生に於いて立ちはだかる苦難に遭遇するたびに、萎えた心を癒したい一心からおやじの胆力・人情味に縋りたがったが、もう叶うことはなかった。松戸から吹く柔らかな風は止んだ。福島出身、世辞を言わず、自分を飾らずそして売らず、まことに海闊天空なおやじであった。
昨今、小賢しい日本人がやたら増えた。自身がそう言われないことを祈るばかりである。