【 What is the Traditional ? from the Pro-Baseball point of view 】伝統の一戦とは~プロ野球から


背振山頂から油山・博多湾を望む
■伝統の一戦とは~プロ野球から - What is the Traditional ? from the Pro-Baseball point of view -
10月21日(日)に開催されたクライマックスシリーズ・ファイナルS 西武ライオンズ対ソフトバンクホークス戦は6対5でホークスが制し、これでホークスは通算4勝2敗と勝ち越し、今季の日本シリーズへの出場権を獲得した。ホークス選手へは勿論のことリーグ優勝を果たした辻監督以下ライオンズメンバーおよびそのファンに対しても、称賛の意を表しておきたい。これで、27日(土)から始まる広島カープとの頂上決戦日本シリーズが見逃せなくなってしまった。
話を少し巻き戻すが、僕にとってのプロ野球伝統の一戦とは、《 西鉄ライオンズ 対 南海ホークス 》である。そう、まさに今の西武ライオンズ(NL)対ソフトバンクホークス(NH)であった。記憶に残る当時のライオンズは監督兼選手の怪童中西、背番号6。以下、投手には全盛期は過ぎたものの鉄腕稲尾背番号24、精鋭の池永、晩年には東尾が入団した。捕手は和田だ。対するホークスは、これも下り坂とは言え史上最強アンダースローの杉浦、捕手は強打者野村、やがて大砲門田も入団した。球場は、今はなき福岡平和台球場。僕は幼少期には親父に連れられ、小学生高学年にもなれば友達と一緒にこの球場へ足を運び、いつも一塁側に陣取って観戦した。当時のホークス応援団に関心したことは、とにかくヤジが面白い。一升瓶片手に日頃聞きなれない関西弁でライオンズの選手面々をいたぶる野次は、ウィットが利いていつも笑いながら聞いていた。球場自体も狭かったが、集客数は精々7,000~10,000人程度だったと思う、よく声が通ったし相手も見えた。こうした2チームも、ライオンズは太平洋クラブ、クラウンライターを経て78年にはとうとう郷土を去って西武となり、一方遅れること10年余、89年にホークスは福岡ダイエーとして博多の町へやって来た。幼少期に記憶した立場が逆転した。
ちまた今でも一般的な伝統の一戦はと問われれば、巨人(または阪神)対阪神(または巨人)となるのであろうか? 辞書には確かに1935年トーキョージャイアンツ、同年大阪タイガースとあり、ネーミングされた時点から起算すれば51年西鉄ライオンズ、同47年南海ホークスよりも10年以上は早いらしい。しかし、元より生粋のパリーグ・ファンの僕はこのあたりの体感としての記憶があまりない。
とは言えジャイアンツだけは、少々格別感はあった。野球に物心がついた時分は4番長嶋はもうとっくに峠を越えていたが、3番王は全盛、僕らの草野球仲間内でも背番号1と3は殊更人気があった。また、ここは親会社がメディアの読売だから、福岡の町でもしょっちゅうTV放映がなされていた。不思議なことに、地元ライオンズの試合がラジオ放送しかない日であっても、なぜかこのジャイアンツ戦だけはTV中継されていた。福岡の町でさえこうなのだから、当時プロ球団がひしめいていた関西地方の一部を除けば、全国津々浦々の特に地元球団を持たない地方のTV放映はジャイアンツ色一色であったことは想像に難くない。60年代から80年代を地方で過ごし、その後上京してきた地方人にジャイアンツファンが多いのは、このことと大きく関係しているように思える。誤解を恐れずに言わせてもらえば、特に地方上がりの在京偏差値エリートに多いのではないだろうか。僕はと言えば、60年代半ばから70年にかけての《巨人大鵬卵焼き》とのフレーズも不思議とピンと響かなかった。別にアンチ〇〇と言う訳でもない。アンチは角度を変えれば一種のファンだと思う。単に興味がわかなかっただけのことである。かなり昔の話ではあるが、僕が一時期神戸に住んでいた時に阪神ファンの熱狂にある種の恐れを感じたことがあるが、この阪神ファンにしてもジャイアンツのことだけはよく知っていた。一種のファンだったのではなかったかと今でも訝しがっている。また、この章の主題『伝統』とは何かを考えた場合、伝統はメディアが創るものでもなければメディアによって引き継がれるものでもないことはもはや自明であろう。とすれば、僕の勝手な解釈ではプロ野球の伝統、それも虚構の伝統はもうとっくの昔に廃れて消滅したと思っている(あらたに生まれ変わったと言い変えることが出来るかもしれない)。
扨て、話は進むが、27日(土)からのホークス対カープの頂上決戦はかなり見応えがあるのではと期待している。カープは、くだんの巨人・阪神時代には、その存在すら危うい万年Bクラスの弱小・貧乏球団であったが、印象に残る86年日本シリーズ対ライオンズ戦では、初戦の土壇場で山本浩二に1発を浴びてからと言うものその後かなり苦戦を強いられ、91年にはその山本監督率いる常勝軍団に安々とは勝たせて貰えなかった。今回は、既に引退を表明した先輩新井の送別花火を揚げながら向かってくる。ホークスには余程心して戦ってもらいたい。
ライオンズ辻監督へもひとこと言っておきたい。僕は、今でこそ特定のひいき球団はなくなったが、かつてはずっとライオンズ・ファンだったことは先にも書いた。平和台にて幼少期より中西・稲尾の偉大さを親から叩き込まれながら、東尾のケンカ野球をハラハラドキドキ眺めつつ、生え抜き太田に助っ人田淵、野村や片平の雄姿を手汗を掻き掻き応援し、そうして西武となって石毛チームリーダーのもと強靭選手が集まり黄金期を築いてきた。メンバーをひとりひとり挙げるまでもない。辻監督も工藤監督も共に当時の立役者かつライオンズ伝統の生き証人であり、僕は時の西武球場で何度楽しませてもらったことか。今般最後に力尽き辻監督は涙していたが、単に負けた悔しさがそうさせたのではないことぐらいはすぐにわかる。08年以降10年途絶えたシリーズ出場キップを、過去に勝利の美酒を何度も味わった経験を持つ監督が選手やファンへ掴んであげられなかった自身の不甲斐なさを悔いたのであろう。来年こそは是非お願いしたいものである。
最後に、今週末から少しだけ、僕を育んでくれた博多の町が盛り上がる。年老いた親も兄弟も、学生時代の友も、福岡のいや九州のホークス・ファンがちょっとだけいい気分に浸れることだろう。僕はそれこそ郷里を離れて久しいが、ここ東京より故郷の面々はきっと楽しめるだろうなぁと想像することが密かな喜びである。かつて野武士ライオンズ一色で沸いたこの町は、今では小学生から年寄りまでまったくホークス彩に塗り替わった。こんなシリーズでちょっと昔であれば、「地方球団同士は何か盛り上がりませんねぇ」とか、まったく時代錯誤の「いや~、巨人が弱いと…」と言ったそれこそ伝統を履き違えた発言がメディアを通じて漏れ聞こえてきたが、さすがに昨今は消えてしまったように感ずる。伝統とは、その土地のひとりひとりにひっそりと根づき続けるものであり、決して作為されるものではない。福岡県人も広島県民も、全国どこにでも散らばっている。さあ、今秋の夜長を制するチームは、いったいどっちだ!